江戸時代611手の詰将棋がありますが・・どうやって考えたのですか? また 今のプロ棋士ならどれくらいのものなら詰ますことができるのですか?
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手数の多さだけを問題にするよりその中身を検証してみることをお勧めします。
伊藤看寿の将棋図巧100番「寿」611手詰は竜の追い回し詰と呼ばれる内容で、同一軌道を42手かけて駒が往復する度に守備駒が減り持ち駒が変わる、この繰り返しで少しずつ玉方が不利を重ねて最後には支えきれなくなるという意匠です。パズルとしてはこのサイクルを見極めれば手数の多さにも納得がいくと思います。
長手数詰めの歴史を紐解くと看寿の父、二代伊藤宗印辺りから追い回しで手数を稼ぐ発想は開発され、看寿の兄の三代宗看が持ち駒が手数の中で変換する考え方を考案しました。看寿の寿もこの流れ、昭和の新扇詰873手詰もこの発想を踏襲しています。
頭の中で解こうとすると無理!というのがアマチュアの印象ですが、プロならこういうサイクルを見切るだけならやると思います。もちろん細かい変化などは並べる必要があるでしょうけど・・少なくとも脳内に将棋盤があることが当たり前なのがプロです。
詰め将棋の才能はパズルのそれに近いものがあるため、現実の終盤戦で即生きるものではなくその一部でしかありません。終盤が強いプロに言わせたら、相手が詰むかと同じだけ自分が詰まされるかを考えないといけないわけですから単純に労力は二倍になります。読みの深さは秒読みなど時間の有無にもよりますから一概には言えません。が少なくともプロなら直観と経験で詰み筋の有無をイメージする能力があります。そこに手数はあまり関係はないと思います。
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図巧百番「寿」は、龍追い+と金はがし+持ち駒変換というシステムの組み合わせで超長手数を達成しています。龍追いは一世代前からある基本的な手筋であり、また他の二つについても前例があるといえばあるのですが、これらを融合させて大作を仕上げたというのが看寿の凄いところ。
どうやって考えたかは本人じゃないので正確なところはわかりませんが、環境と本人の才能と努力の賜物でしょう。将棋の家元に生まれ、13歳上の兄が無双百番を作った三代宗看、時代は江戸で天下泰平ですから、詰将棋の傑作が生まれる素地はあったかなと。とはいえ宗英以降は献上図式そのものをやめちゃってるんで、周辺の条件が整っていても当人にやる気と才能がなきゃダメですね。
なお手数の長さと難しさは比例しません。「寿」もアマチュア三段ぐらいの棋力があれば、解くことは可能だと思います。
おまけ。
「寿」を作ったときの看寿の年齢は十三歳だったという記録があるそうで。ほんまかいなと思う反面、現代の多くの詰将棋作家が十代で傑作を発表しているのをみると、ありえることかもと思ってたりします。
もうひとつ。詰碁で珍朧(ちんろう)という特殊な分野がありまして、看寿が囲碁の愛好家に「囲碁にはこんな長手数の珍朧があるが、将棋にはないだろう」と挑発され、「寿」を作ったという伝説があります。碁盤は19×19の361路なので、どんなにがんばっても三百手を越すような詰碁はできないだろうと思っていたのですが、世の中すごい人がいるもので、三百手どころか三千手越えの珍朧が作られています。なんだかなぁ。
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>江戸時代611手の詰将棋がありますが・・どうやって考えたのですか?
現在の最長手順の詰将棋は、確か「ミクロコスモス」、1525手詰。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%B3%E...
詰将棋の創作は、指し将棋とは異質の才能が必要。芸術家や作曲家と似た資質が必要に思います。このような長編はなおさらです。
ダビンチやベートーベンがどのように作品構想を練り、書き上げたかが想像不能なのと同じようなもののように思います。
>今のプロ棋士ならどれくらいのものなら詰ますことができるのですか?
余談ですが、「プロを目指す人のうち、看寿の図巧と宗看の無双を解いた人でプロになれなかった人はいない」と言ったのは米長邦雄(現連盟会長)。
プロでも、得手不得手があるもので、これくらい長くなると、解けない人もいるらしい。
数日~数週間は掛かったと、米長さんがどこかで書いていたような記憶が...。
作る方も大変らしく、内藤國男九段は、詰将棋「ベンハー」の構想から完成まで、40数年。
根気と情熱と夢。持ち続けられるのはうらやましい、脱帽。
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