将棋の大山康晴十五世名人は(わざと!)最善手を指さず
次善手を指して勝っていたと、聞いたことが有りますが
本当の事でしょうか?
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必ずしも次善の手ばかりではなく、時には悪手、まがい手、人をバカにしたような手、心理戦、盤外戦などあらゆるものを総動員して勝ちまくっていました。同様の質問に対する私の回答を再掲します。
「将棋は悪手をより多く指した方が負ける」という、ゲームの本質を見抜いていたことに尽きます。「私も3回間違えるけど、あなたを4回間違えさせますよ」という将棋でした。ある棋士は「大山名人は催眠術を使う!」と信じ、面と向かって対局することを避け、一手指しては控え室に行き、記録係が呼びに来たらまた対局室に戻って指す、ということを繰り返していたそうです。催眠術はオーバーにしても、最善最強を求めず、時には故意に悪手を指し、相手を思考の迷路に引きずりこみ、紛らわしい局面に誘導する術にたけていたと思われます。人間心理の洞察力に長じていた、とも言えます。ある本にはこう書いてあります。「なんでも同歩と取る。素人臭い手をやってくる。だから簡単に序盤でこちらが優勢になる。中盤でA,B,C,3つの選択肢があり、どれを選んでも勝てそうに思える。しかし現実はAを選べば優勢を維持し、Bは形勢不明、Cは確実に逆転するという構造になっている。そういう局面を一局に何度も何度も意図的に作り出す。そしてついには疲れ果ててCを選んでしまう」と。これが中原名人に対して通用しなかったのは、中原氏が良い意味での精神の鈍感さを持ち合わせていたからではないでしょうか。羽生名人は大山将棋を並べて「強さの秘密がわかった」と言っています。どのようにわかったのか?それを技術的に説明してもらっても、私には、そしてあなたにも、永遠にわからないでしょう。
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羽生さんもそれ、やってるんですよ。ご本人がテレビで堂々と理由も言ってましたから。
一番強い手でいくと、強い力で投げ返される。だから相手に合わせて力を調整する(ひいては相手をコントロール)ことが大事だと。
ましてや羽生さん曰く、『将棋はいかに自分からなにもしないで相手に手番を渡せるかが勝負』(相手の出方を先に確定させてからのほうが読みやすいということだと思う。)だそうですよ
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自分が不利なときにお互いに最善手を指し続ければ、「必ず負けます。」
ところが、自分が不利の時に相手が間違えてくれれば逆転します。その相手の悪手を誘発するのが「その局面での次善手」ということです。
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有る意味、本当だと思います。(笑)
私どもの棋力では、想像の範囲でしか有りませんが、勝ち方の
コースは一つでは有りませんね。
大山康晴十五世名人は、一番安全な勝ち方、紛れが最も少
ない勝ち方をいつも選択されたからだと思います。
最短コースが有るのに、わざわざ安全な遠回りをするため、他の
有力棋士からそう評価されたようです。
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最善手とか次善手というのは所詮は机上の空論です。現実にはそんなものは存在しない。プロの将棋はほとんどの局面において何が最善手か何が次善手か分からないものなんです。羽生名人が局後に何時間かけて検討してやうやく判明する程度のミクロの差なのです。大山名人は学究派じゃないから事前に相手を研究することも無かったし、一手に何時間も長考することもなかった。どちらかというと実践的に相手の研究や相手の狙いを外すことに力を入れていた感じです。大山名人は滅茶苦茶に忙しい人で対局に関係ない仕事をいつも抱えていたからです。大山名人は毎回、中飛車だったり四間飛車だったり、三間飛車だったり、向かい飛車だったり、飛車を振る筋を変えていました。同じ四間飛車でもちょっとづつ形や手順を変えるのです。定跡をなぞるのでなく、できるだけ定跡を外して長引かせるような感じです。それが見る人には最善手を指さず次善手を指して勝っていたという風に感じられるところなのかも知れません。そして大山名人は一局単位に将棋を捉えているのでなく、タイトル戦だと7番全部含めて勝てば良い。一局、二局負けても最後に勝てば良いといった将棋観も持っていたように思えます。
質問の答えとしては、そう感じる人がいてもおかしくはないといったところです。
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表現が微妙ですが、それらしいと思われる将棋はいくつもあります。例えばこれ。
1956年 名人戦 ▲花村八段×△大山名人
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=26027
この将棋のハイライト(?)は既に大勢決した177手目以降にあります。先手花村八段は大駒を全て失い完全に攻め手はなし、既に形勢は大差です。しかも名人戦というタイトル戦のひのき舞台、せめてスッパリと斬ってあげるのが武士の情けと言うもの。
しかるに大山の指し手は非情を極めました。
▲3五歩に△3三歩! そして▲4四歩に△5三金!まったく寄せに行くそぶりすら見せず、形作りすら許さずにまさになぶり殺しの順をあえて採ったのです。投げるに投げられず、屈辱に耐えて△5一と~△4二と、と指し手を続けた花村八段は立派でした。
大山将棋にはこのような手が随所に出てきます。対戦相手にこのような屈辱的な順を強いることが、苦手意識を強烈に植え付け、後の戦いにまで影響してくることを十二分に知っていたからです。(大山×花村の対戦成績は大山の43勝9敗と言う恐るべき大差でした)
大山名人の強さは誰も否定するところなどありませんが、こうした勝負に対する考え方は私はどうしても好きにはなれませんでしたね。
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