戦国時代にも将棋はあったようですが、当時の駒や盤の形、ルールはどんなものだったんでしょうか?
やはり現在とは違うんでしょうか?
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はっきりは分かりませんが豊臣秀吉の時代には同じだったかも…
秀吉が家来と将棋を指す時に今日はワシが駒を落としてやろうと言い飛車先の歩を外し じゃあ駒落ちだから先に指すぞと言って飛車を成った話を聞いた事がありますので同じだったかもしれません
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戦国時代でも最初のうちは今とルールが違います。
Wikipediaの古将棋を参考にしてください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%86%E6%A3%8B%E9%A1%9E%E3%81%AE%E...
取った駒が使えません。
取った駒を持ち駒として再利用できるように
できるようになったのは、戦国時代の最中らしいのですが
明確な時期はわかっていません。
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足利末期は将軍の権力が衰えて、全国は戦乱の巷と化した。
ところが、諸外国と異って、異民族をまじえぬ日本人の戦争は、
いわば大将と大将との個人戦という形をとっている。
いつの時代を見ても、勝者は敗者を皆殺しにするという残酷さはない。
むしろ、勝者の兵をわが配下として勢力の増強をはかるを常とした。
こうした戦乱の繰返しの時代に、いまの将棋は誕生した。
日本将棋に独特の「取った駒を再使用」するルールは、
こうした戦乱と、足軽の跳梁といった時代の思想・
世相を反映して工夫され、採用されたものではなかろうか・・・。
http://www.tengudo.jp/go/knowledge_s1.html
http://www.tengudo.jp/go/knowledge_s2.html
http://www.tengudo.jp/go/knowledge_s2.html
参考に読んでみてください。
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読まれたかもしれませんが、
今年の週刊少年ジャンプの「こち亀」に将棋に関する面白いマンガがありました。
それも、読んで見たらいかがでしょうか。
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ある博物館で、「厩(うまや)図」とかいう、室町時代後期の絵を見たことがありますが、そこには、馬の世話の合間に、将棋と囲碁とすごろく(バックギャモン)をしている様子が描かれていました。将棋の目の数は大体同じくらいだったと思います。
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日本の将棋は海路のタイ方面から伝わったと見られています。金銀香桂など宝物の名前です。
徳川家康の時には将棋や碁をプレイする家来が居たようです。(プロ囲碁やプロ将棋が発生した)
日本将棋はタイ将棋に似ているといわれて居ます(大内9段の研究によります)
ルールは現在と同じ。
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