平城京について教えて下さい。
参考書に、平城京・・・①710年、奈良に置かれた都。②唐の都、長安(今の西安)にならい、東西南北に走る道路によって碁盤のめのように区画された。③大宝律令にもとずいた
律令国家をめざして、政治が行われた。
とあるのですが、‘‘②の唐の都、長安(今の西安)にならい、東西南北に走る道路によって碁盤のめのように区画された。’’の日本語の意味がイマイチわからないというか・・・。わかりやすい日本語で解説してくださると、助かります。
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オセロの盤や将棋盤・囲碁の碁盤の様に四角形を基本に道路整備した事。この時期なら、網戸やザルを良く見て下さい。正方形が組み合わさってるでしょ。あれを巨大化したものを想像してください。想像がつきにくかったら、風呂場等のタイルを想像して見ては?タイル部分が屋敷、タイルをつなぐ白いパテが道路、全体が平城京。敷地の大小は有るけどね。
http://www.omiya-st.com/index.html 此処の「平城京跡」をクリックして、平城京をクリックすれば図面が出てきます
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解らない点が不明ですがもし「碁盤の目」というのが解らないというなら
「オセロのゲーム盤」とか方眼紙のような、と考えればよいのでは?
唐の都、長安の様な ・・・・ 方眼紙の縦、横に線が直角に
引かれているような感じで道路が整備されている。
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長安を手本にして、碁盤の目(将棋盤の目のようにでもいいです)のように、たて×よこの直交する線で道路をつくったわけです。
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